仏教美術の粋を集めた砂漠の中の大画廊 敦煌観光のメイン 世界遺産
観光地名 |
莫高窟 |
英語名 |
Mogao Grottoes |
住所 |
中国甘粛所省敦煌市鳴沙山東側 |
ランキング |
第一陣全国重要保護文化財・世界文化遺産 |
入場料 |
200元 |
観光スポット |
蔵経洞・飛天壁画・九階建て楼閣 |
行き方 |
敦煌飯店-敦煌駅-莫高窟の公共バス |
営業時間 |
08:00-18:00 |
敦煌はかつて中国の西の玄関口と呼ばれ、ここから西を見渡せば、広大な砂漠が広がるばかりです。紀元前111年に漢の武帝が置いた沙州にあたり、オアシス都市であると同時に、西域に対する最前線の軍事拠点でした。シルクロードの要衝として東西を行き交う人々がもたらす文化が開花したところでした。明代以降、航海技術の発達により、東西の交易が海路に移ってゆくと、次第にその存在も陰が薄くなってしまいました。
1900年に莫高窟を管理していた王圓籙道士が、第16窟の壁に隠された小さな窟(第17窟)を発見しました。中から5万ともいわれる大量の経典や書画が出てきたのです。それから敦煌が大騒ぎになりました。
莫高窟(ばっこうくつ)は敦煌から南東へ約20キロ、鳴沙山東端の断崖に開削された壮大な石窟群です。南北1600mにわたる岩壁に735にものぼる数の石窟が彫り込まれ、そのうち492窟に荘厳な仏画や仏像が納められ、中国と西域とを結ぶ文明の交差点としての栄華を語っております。莫高窟は中国三大石窟の一つに数えられ、仏教美術の宝庫、かつ敦煌観光のハイライトです。
伝説によれば、366年に楽尊という修行僧が、夕日で金色に輝く三危山に仏の姿を感じて、ここに一つの洞窟を掘ってみずからの修行の場としたことがきっかけだったといわれます。以来、敦煌で奪い合いを繰り返してきた各民族の支配者の多くは仏教を篤く信仰し、元代にいたるまで、実に1000年もの長きにわたって莫高窟の造営を続け、ついには千仏洞と呼ばれるほどの規模になりました。
一方、莫高窟の名前の由来については二説が存在します。一説では、砂漠の高所にある石窟、そして「漠」と「莫」が通用することから莫高窟と名付けられます。なお、石窟の造営ほど高い修行がないという仏教の教えによることはいまひとつの由来です。
莫高窟は時代によって、洞窟の構造、仏像の様式、壁画の素材などにそれぞれ違いがあり、中国の仏教美術の歴史を伝えます。特に壁画が非常に良い状態で残っており、その総面積は45000㎡、1列に並べたとすると25キロの長さになり、まさに『砂漠の大画廊』の名にふさわしい文化遺産です。代表的なものとして以下の洞窟が挙げられます。
第16窟:唐代創建。莫高窟最大の見どころ。15m四方ほどの広い窟内には、迦葉と阿難を従えた釈迦像があり、四方の壁や天井には蓮の花や千仏が彫り込まれています。
第17窟:世紀の大発見。第16窟内の右手にある小部屋、その中央に唐の僧・洪弁の塑像が安置されています。わずか1坪余りのスペースに、4世紀から11世紀にかけての5万冊もの経典類が隠されていました。しかし、20世紀初頭、イギリスのスタイン、フランスのぺリオ、ロシアのオブルーチェフ、さらには西本願寺の法主大谷光瑞が主宰する大谷探検隊が、探検の名のもとに大量の文書や絵画をそれぞれの自国へ持ち去っていきました。
第45窟:如来を中心に、迦葉と阿難の2体の羅漢と、さらにその脇に2体の菩薩を従えた五尊像があります。華やかな色彩が唐代の趣味を明らかに示しています。
第96窟:内部には33mの北大仏と呼ばれる弥勒菩薩が納められ、親指だけで1mはあるという、巨大さを実感します。
第130窟:高さ26m、北大仏に次ぐ大きさの南大仏が安置されています。唐代の弥勒菩薩像です。仏像のすぐ右手に15mもの巨大な仏画が見られ、当時の敦煌の栄華を誇っているようです。
第159窟:唐代の菩薩像が穏やかな顔立ちと慈悲深い表情をたたえています。ふくよかな指先と柔和な笑顔が印象的です。
第172窟:極楽浄土の世界を描いた観無量寿経変は、浄土信仰が伝わったものです。
第249窟、馬に乗った人物が虎を射る様子を描いた狩猟図があります。西魏代の狩猟生活を伺うのに貴重な資料を提供しています。
第329窟:飛天の舞う壁画が見事です。
なお、莫高窟見学は、ガイド付きが原則だという仕組みになっています。5月から10月までがベストシーズンです。敦煌旅行の際、是非、世界遺産の敦煌莫高窟観光をご堪能ください。